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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)7357号 判決 1988年12月26日

原告 鈴木滋子

右訴訟代理人弁護士 緒方孝則

被告 東京都

右代表者知事 鈴木俊一

右指定代理人 小林紀歳

<ほか一名>

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一八二六万二五八五円及びこれに対する昭和五六年七月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

原告は、大正六年三月三〇日生まれの女性である。他方、被告は、東京都立大久保病院(以下「被告病院」という。)の開設者であり、訴外小林慶二(以下「小林医師」という。)及び同丸山徹雄(以下「丸山医師」という。)は、いずれも被告病院に勤務する医師である。

2  (診療契約の締結)

原告と被告は、昭和五六年五月中頃または遅くとも同年六月一〇日、原告の病的症状の医学的解明をし、その適切かつ十分な診療行為をすることを目的とする診療契約を締結した。

3  (診療の経過)

(一) 原告は、昭和五〇年ころから右手小指に軽いしびれ感を覚え、そこで、近医において、二か月間ほど、週一回、毎回五分程度の牽引療法を受けたこともあったが、同五二年ころから、左足底部に違和感が現れるようになった。

(二) 原告は、同五三年に至り、都立府中病院神経内科で診療を受け、その後それと併行して国立療養所村山病院(以下「村山病院」という。)及び埼玉医大附属病院脳神経外科で診療を受けたが、村山病院の訴外藤村医師より原告を頸椎症と診断され、また、埼玉医大での原告担当医となった訴外長島親男医師(以下「長島医師」という。)より、原告の頸椎がいわゆるスワンネックになっていると診断され「スワンネック状にある頸椎は、手術をするとより変形をきたすおそれがあるので危険である。」と説された。

(三) 原告は、埼玉医大に昭和五三年五月から同五六年二月ころまで通院し、ビタミン剤の投与を中心とする薬物療法による治療を受けたが、同年五月二二日、田無市所在の医療法人社団時正会佐々病院に医師として勤務する訴外寺村正(以下「寺村医師」という。)から小林医師を紹介され、同病院において寺村医師の立会のもとに小林医師の診察を受けた。この受診時の原告の症状は、第八頸神経領域に知覚鈍麻があり、両手小指薬指の軽いしびれ感と左足底に百円玉範囲の軽い知覚鈍麻がある程度で、上肢の腱反射は正常だった。小林医師は、第六、第七頸椎間に病変のある頸部脊椎症であるとの診断を下し、原告に対し「このままだと歩けなくなったり、尿が出るのがわからなくなったりする。今の軽いうちに手術をすれば、良くなるし、どんなに悪い場合でも現状で止められる。」と説明した。原告は、かつて長島医師から手術は避けた方が良いと言われていたので、その旨小林医師に述べたところ、同医師は「長島先生は後ろからされるので危険だが、私は前からしますから大丈夫です。」と説明した。

(四) そこで、原告は、小林医師に手術治療を委託して、同年六月一〇日被告病院整形外科に入院し、丸山医師の診察を受けた。また、同日、顎付ポリネックとギブスベッドの作製が行われた。この時原告は、同医師の問診に対し、昭和五〇年ころから右手第五指にしびれ感を覚え、左足底部には違和感があると説明した。そして、丸山医師が原告を診たところ、原告の頸椎には叩打痛が認められなかった。

(五) 原告は、同月一五日、手術の準備として脊髄腔造影検査を受けることとなったが、左耳後部より一時間以上にわたり何度も針で探られたが目的を達せず、この検査はいったん中止された。この検査の間原告は、右部位に激しい痛みを覚え、苦痛を訴え続けた。この検査は、改めて同月一九日に、今度は腰部から造影剤を挿入する方法にて実施された。

(六) 丸山医師は、同年七月二日、執刀医として原告の病変のある第六、第七頸椎間への手術を後方到達法によって実施した(以下「本件第一手術」という。)。

(七) 原告は、第一手術を終えて、覚醒した直後から、術前にはなかった胸部絞扼感、下腹部より両下肢にわたる知覚障害、右腕の運動機能麻痺、両腕の強いしびれ感と冷感、排尿障害を訴えるようになり、明らかな脊髄症状を呈し始めた。

(八) 小林医師は、引き続き同月二八日にも原告の二回目の手術を実施したが(以下「本件第二手術」という。そして、これと本件第一手術とを合わせて「本件手術」という。)、原告の症状は変わらず、むしろ増悪した。原告は、同年八月一一日、頸椎ギブス固定のうえ、リハビリテーションのための歩行訓練を開始した。しかし、その後も原告の症状は回復せず、原告は、脊髄検査時の左耳後部の痛みと第一手術後に生じた四肢のしびれ感、四肢脱力及び四肢不全麻痺、胸部及び頸部の絞扼感、排尿障害、重度の知覚障害及び運動機能障害を残したまま、同年一一月二一日被告病院を退院した。

(九) 原告は、同病院退院後も、同月二五日から昭和五八年二月七日まで村山病院にて継続的にリハビリテーションを受けたが、右症状は、医的侵襲という外傷によるため回復せず、徐々に増悪した。

4  (被告の責任)

(一) 説明義務違反

頸部脊椎症に対する手術療法は、易損性のある脊髄を対象とする危険なものであり、更に、原告は小林医師に対し手術療法の危険性に対する不安と疑問を訴え、しかも、原告の病状経過からみて、原告がそれまで受診した医師の間でも手術の要否につき見解が分かれていたのであるから、小林医師は、原告に対し、手術療法を選択する理由と必要性を、危険性と改善率を踏まえて説明すべき義務があった。それにもかかわらず、同医師は、これを怠り、原告に対し、手術療法の危険性及び改善率について何ら説明することなく、かえって、「手術をすれば良くなるし、仮にどんなに悪く行っても、現状で止められます。」と現在の医療水準とは異なる事実を申し述べ、そのうえ、「長島先生は後ろからされるので危険だが、ぼくたちは前からしますから大丈夫です。」と、あたかも手術療法の危険性が術式の選択に帰着するかのごとき説明をして、原告の真正の承諾を得ないまま、本件手術を実施した義務違反がある。

(二) 手術適応性判断の過誤

頸部脊椎症の治療は、原則的に、保存的治療によるべきものであり、仮に手術療法によるとしても、頸部脊椎症の多くが、ある程度進行した後固定し、やがて改善していくこと、椎弓切除術の手術操作が技術的に困難で、術後の回復の度合いも予見しにくいこと、他の疾患に比べ、手術侵襲に伴うリスクが高いことから、手術適応を決定するに際しては、(1)日常動作の障害度(2)脳髄液の通過障害の有無(3)脊椎管前後径の狭窄の程度(4)年齢及び社会的活動性の有無を主たる判断要素として、慎重に判断するべきものである。原告は、本件手術の前は、(1)日常動作の障害はないに等しく、(2)脳髄液の通過障害もなく、(3)脊椎管前後径の狭窄は多少見られたとしても、(4)六四歳の高齢者であり、手術侵襲のリスクを冒してまで本件手術を実施すべき社会生活上の必要はなかったのであるから、原告には、手術適応はなかったものである。しかるに、小林、丸山両医師は、保存的療法に関心を払わず、右適応性の判断を誤り、本件手術を実施した義務違反がある。

(三) 術式選択上の過誤

椎弓切除術を行って脊柱管の除圧をする後方到達法は、四椎間以上の広範囲に頸椎に病変のある患者並びに前方到達法による効果が芳しくない場合の追加術としてなされるべき術法であって、その治療効果は前方到達法に劣り、術後増悪も多い。しかも、小林医師は、原告に対し、前方到達法によって手術を行うことを術前に述べていたのであるから、前方到達法によるべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、後方到達法によって本件手術を実施した過失がある。

(四) 施術上の注意義務違反

小林医師は、原告に対し、本件手術に際しては同医師が自ら執刀する旨を約したのだから、治療行為に伴って原告の身体に傷害を及ぼすことのないよう施術上の注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、経験の浅い未熟な丸山医師に本件手術の執刀を行わせた結果、過って脊髄神経の損傷を招いた義務違反がある。

5  (損害)

(一) 医療費 金四〇万三〇九五円

原告は、被告病院に対し、昭和五六年六月から同年一一月まで、村山病院に対し、同年一一月から同五七年二月まで、医療費として毎月三万九〇〇〇円合計金三五万一〇〇〇円を、それぞれ支払い、そのほかに国立療養所村山病院に対しては、同五六年一一月分として金二万二三九五円を別途に支払い、更に、顎付ポリネック装具費用として金二万九七〇〇円を支払った。

(二) 入院諸雑費 金六五万円

原告は、昭和五六年六月一〇日から同五八年二月七日まで入院治療を受けたが、その間、同五六年七月九日から同月二三日まで室料として一日金三〇〇〇円合計金四万五〇〇〇円を支出し、また、右入院全期間を通じ、入院雑費として一日金一〇〇〇円合計金六〇万五〇〇〇円を下らない金員を支出した。

(三) 小林医師に対する謝礼 金一五万円

原告は、小林医師に対し、術前に金五万円を、術後に金一〇万円を社会的儀礼のひとつとして支払った。

(四) 逸失利益 金七九六万九四九〇円

原告は、本件当時六四歳の主婦であったが、本件手術の後遺障害として神経系統に著しい障害に至り、終身労務に服することができない状態になった。その障害は、後遺障害等級表のうち第三級に該当するので、原告の逸失利益は、次のとおりである。

一九三万八二〇〇円(昭和五六年の六四歳の女子労働者の平均年収)×〇・七(生活費を三〇%として控除した純収益の占める割合)×五・八七四(新ホフマン係数)=七九六万九四九〇円

(五) 入院慰謝料 金一八〇万円

原告は、手術の必要がないにもかかわらず、不十分かつ虚偽の説明のもとにこれを承諾し、入院をした上に、手術の不手際も重なって、極めて大きな精神的苦痛を被った。この苦痛に対する慰謝料は、金一八〇万円が相当である。

(六) 後遺障害慰謝料 金五四九万円

原告の後遺障害は、前述のとおり後遺障害等級表のうち第三級に該当するものである。その精神的苦痛に対する慰謝料は、金五四九万円が相当である。

(七) 弁護士費用 金一八〇万円

6  よって、原告は被告に対し、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償請求として金一八二六万二五八五円及びこれに対する不法行為の日である昭和五六年七月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3の事実について

(一) 同(一)の事実のうち、原告が昭和五〇年ころから右手小指に軽いしびれ感を覚え、近医を受診したこと、同五二年ころから、原告の左足底部に違和感が現れるようになったことは認め、その余の事実は否認する。

(二) 同(二)の事実のうち、原告は、同五三年に至り、都立府中病院神経内科で診察を受け、その後村山病院及び埼玉医大附属病院脳神経外科で診察を受けたこと、村山病院の訴外藤村医師が原告を頸椎症と診断し、また、埼玉医大での原告担当医となった長島医師が、原告に対し、同人の頸椎がいわゆるスワンネックになっていると述べたことは認め、その余の事実は知らない。

(三) 同(三)の事実のうち、原告が同年五月二二日田無市所在の医療法人社団時正会佐々病院に医師として勤務する寺村医師から小林医師を紹介され、同病院において寺村医師の立会のもとに小林医師の診察を受けたこと、この受診時の原告の症状は、第八頸神経領域に知覚鈍麻があり、上肢の腱反射が正常だったことは認め、埼玉医大に昭和五三年五月から同五六年二月ころまで通院したこと、同年五月二二日小林医師の診察を受けたとき、原告に、両手小指薬指の軽いしびれ感と左足底に百円玉範囲の軽い知覚鈍麻がある程度だったこと、小林医師が、第六、第七頸椎に病変のある頸部脊椎症であるとの診断を下したこと、小林医師が原告に対し「このままだと歩けなくなったり、尿が出るのがわからなくなったりする。今の軽いうちに手術をすれば、良くなるし、どんなに悪い場合でも現状で止められる。」と説明したこと、原告がかつて長島医師から手術は避けた方が良いと言われていたので、その旨小林医師に述べたところ、同医師は「長島先生は後ろからされるので危険だが、私は前からしますから大丈夫です。」と答えたことは否認し、その余の事実は知らない。小林医師が下した診断は、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間に主病変のある頸部脊椎症である。

(四) 同(四)の事実のうち、原告は同年六月一〇日被告病院整形外科に入院し、丸山医師の診察を受けたこと、この時原告は、同医師の問診に対し、昭和五〇年ころから右手第五指にしびれ感を覚え、左足底部には違和感があったと説明したこと、丸山医師が診たところ、原告の頸椎には叩打痛が認められなかったことは認め、原告が小林医師に手術治療を委託したことは否認し、その余の事実は知らない。

(五) 同(五)の事実のうち、原告が同年六月一五日脊髄腔造影検査を受けたが目的を達せず、この検査はいったん中止されたこと、この検査の間原告が苦痛を訴え続けたこと、この検査が改めて同月一九日に腰部から造影剤を挿入する方法にて実施されたことは認め、同月一五日、原告が手術の準備として脊髄検査を受けた際、左耳後部より一時間以上にわたり何度も針で探られたこと、同月一五日の検査の間、原告が右部位に激しい痛みを覚えたことは否認する。

(六) 同(六)の事実のうち、被告病院において同年七月二日本件第一手術が後方到達法で実施されたことは認め、執刀医が丸山医師であること及び手術部位は否認する。同月二日に実施された本件第一手術の内容は、主病変のある第六、第七頸椎椎弓切除と第六、第七頸椎椎間孔開放である。

(七) 同(七)の事実は否認する。

(八) 同(八)の事実のうち、小林医師が引き続き同月二八日に本件第二手術が実施されたこと、原告が同年八月一一日頸椎ギブス固定のうえ、リハビリテーションのための歩行訓練を開始したこと、原告が同年一一月二一日被告病院を退院したことは認め、本件第二手術を実施しても原告の症状は変わらず、むしろ増悪したこと、本件第二手術後、歩行訓練をしたにもかかわらず、原告の症状は回復せず、脊髄検査時の左耳後部の痛みと第一手術後に生じた四肢のしびれ感、四肢脱力及び四肢不全麻痺、胸部及び頸部の絞扼感、排尿障害、重度の知覚障害及び運動機能障害を残したまま、被告病院を退院したことは否認する。原告が左耳後部の痛みと四肢のしびれ感、四肢脱力、胸部の絞扼感を訴えていたのは右歩行訓練後である。

(九) 同(九)の事実のうち、原告が同病院退院後も、同月二五日から昭和五八年二月七日まで村山病院にて継続的にリハビリテーションを受けたことは認め、その余の事実を否認する。

4(一)  請求原因4(一)は争う。原告が主張する説明義務違反と本件損害との間には因果関係がない。また、小林医師及び丸山医師は、原告の臨床経過、臨床所見、レントゲン所見、CT検査及び脊髄造影検査所見に基づき、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間を中心とする頸部脊椎性脊髄症と診断したうえで、原告に対し、レントゲン写真等を示しながら、

(1) それまでの保存的治療が効果を上げず、神経症状が依然進行し、かつ、脊髄が高度に圧迫されており、今後も症状が進行する可能性が大きいことから、手術的治療の必要があること、

(2) 原告の頸椎はスワンネック形状にあり、その前彎を呈している下位頸椎では特に脊柱管が高度に狭窄されているため、前方より脊髄を圧迫している骨棘を一気に除去するのは、脊髄に対する危険が大きいので、椎弓の切除等によって脊髄をいったん後方に逃がす必要があり、また、椎間孔が前後から狭窄されていることから、第一段階として後方到達法を、第二段階として前方到達法を行う二段階手術法が適切であり、これを選択実施すること、

(3) 脊椎の手術は、その中心にある脊髄周辺の操作を行うので脊髄の損傷を起こす可能性は皆無とはいえないこと

を説明したところ、原告は手術することに同意した。

よって、被告は、説明義務を尽くしたものである。

(二) 請求原因4(二)は争う。仮に、原告が主張するとおり、(1)日常動作の障害度(2)脳髄液の通過障害の有無(3)脊椎管前後径の狭窄の程度(4)年齢及び社会的活動性の有無を主たる判断要素として判断するとしても、

(1) 上肢に高度の筋萎縮、すなわち右手小指球筋及び左手母球筋に筋萎縮があり、また、原告の年齢における標準の握力に比して、右八キログラム、左九キログラムとその減退は著しく手指の運動障害が認められ、かつ、明らかに知覚障害が認められた。更に、下肢は、自覚的にはしびれ感、重感、倦怠感があり、他覚的には両下肢の膝蓋腱反射亢進、アキレスケン腱反射亢進、足間代陽性等の病的反射が認められ、運動神経伝導路の障害は明らかであり、歩行障害が窺われた。

(2) 原告の第五、第六頸椎間、同第六、第七頸椎間での脊髄の高度の圧迫及び同高位での神経根の圧迫も高度であった。

(3) 原告の第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間の椎体後縁の骨棘と椎体の後方への滑りにより、脊柱管の前後径が約一〇ミリメートルと高度に狭窄されており、しかも第一頸椎以下その他の頸椎の脊柱管前後径にも中程度の狭窄が認められた。

(4) 原告は、本件手術当時六四歳であったが、手術前における全身諸検査からも右のごとき手術上の障害となるものは認められなかった。

よって、原告に手術適応があったのだから、被告には、右適応性の判断に過誤はなかったものである。

(三) 請求原因4(三)は争う。原告の頸椎がスワンネック形状にあり、その前彎を呈している第六、第七頸椎管では、特に脊柱管が約一〇ミリメートルと高度に狭窄されているため、一期的に前方より脊髄を圧迫している骨棘を切除することは脊髄をいったん後方に逃す必要があること、しかも椎間孔が前後から狭窄されていることから、第一段階としては、後方からの除圧と椎間孔の開放のための手術(後方到達法)、しかる後三週間の経過をもって前方からの最も圧迫が強い第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間の前方除圧と、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間の前方開放を目的とする第二の手術(前方到達法)が適当であり、被告の術式の選択に過りはない。

(四) 請求原因4(四)は争う。本件第一手術は、小林医師と丸山医師により実施されたものであるが、丸山医師は、皮膚の切開、頸椎の椎弓の展開(頸椎の椎弓に付いている筋肉を椎弓から剥離し、椎弓を手術野に展開すること)と手術終了直前における筋肉と皮膚の縫合を行ったに過ぎず、第六、第七頸椎椎弓切除及び第六、第七頸椎間孔開放等重要な施術はすべて小林医師が担当した。従って、丸山医師の執刀によって原告の脊髄神経に損傷を及ぼしたことはあり得ない。また、小林医師も手術の際に脊髄神経損傷を及ぼしていない。よって、被告病院及び小林、丸山両医師に施術上の注意義務違反はない。

5  請求原因5は争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因3の事実のうち、原告が、昭和五〇年ころから右手小指に軽いしびれ感を覚え、近医で受診したこと、同五二年ころから、左足底部に違和感が現れるようになったこと、原告は、同五三年に至り、都立府中病院神経内科で診察を受け、その後村山病院及び埼玉医大附属病院脳神経外科で診察を受けたこと、村山病院の訴外藤村医師が原告を頸椎症と診断し、また、埼玉医大での原告担当医となった長島医師が、原告に対し、同人の頸椎がいわゆるスワンネックになっていると説明したこと、原告が同年五月二二日、佐々病院に勤務する寺村医師から小林医師を紹介され、同病院において寺村医師の立会のもとに小林医師の診察を受けたこと、この受診時に原告の症状は、第八頸神経領域に知覚鈍麻があり上肢の腱反射は正常だったこと、原告が同年六月一〇日被告病院整形外科に入院し、丸山医師の診察を受けたこと、この時原告は、同医師の問診に対し、昭和五〇年ころから右手第五指にしびれ感を覚え、左足底部には違和感があると説明したこと、丸山医師が診たところ、原告の頸椎には叩打痛がなかったこと、六月一五日、脊髄腔造影検査をしたが目的を達せず、この検査はいったん中止されたが、この間原告は、苦痛を訴え続けたこと、この検査は、改めて同月一九日に腰部から造影剤を挿入する方法にて実施されたこと、被告病院において同年七月二日本件第一手術が後方到達法で実施され、小林医師が引き続き同月二八日に本件第二手術が実施したこと、原告が同年八月一一日頸椎ギブス固定のうえ、リハビリテーションのための歩行訓練を開始したこと、原告は、同年一一月二一日被告病院を退院したこと、原告は、同病院退院後も、同月二五日から昭和五八年二月七日まで村山病院にて継続的にリハビリテーションを受けたことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実と《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和四八年ころ、遊走腎を患って、田無病院で治療を受けたことがあったが、その他は病気らしい病気をしたこともなかった。ところが、昭和五〇年の夏ころ、原告は右手小指にしびれ感を覚えた。このとき、原告は、近医の田無病院で診察を受け、一週間に一回、五ないし七分程の牽引療法を受けたが、二か月で通院をやめた。それから次第に薬指、中指、人差指へと一本ずつしびれ感が広まり、二、三年の間に、左手も小指から徐々にしびれ感が広まった。更に、昭和五二年ころから左足底の第四指の下に一〇〇円玉位の範囲で違和感が現れるようになった。その一方、原告は、昭和五二年の暮れないし同五三年ころ、府中の都立病院の神経内科の花籠医師の診断を受けようとしたところ、整形外科が適当であるとして、同医師より村山病院を紹介された。原告が、村山病院の藤村医師の診察を受けたところ、同医師より頸椎脊椎病と診断され、「入院してよく調べましょう。悪ければ、手術も覚悟して下さい。」と言われた。原告は、昭和五三年五月、埼玉医大付属病院の長島医師に診てもらったところ、同医師より頸椎の変形と神経の圧迫を指摘され、同人の頸椎がいわゆるスワンネックになっていると述べ、三か月に一回通院するように指示され、同病院へは、昭和五六年二月まで通院したが、その間、神経の機能を賦活するビタミン剤による薬物療法を受け、痛み止めの薬を塗布する治療を受けた。

(二)  原告は、昭和五六年五月二二日佐々病院で整形外科医をしている寺村医師の紹介により、小林医師の診察を受けた。原告は、小林医師の診察に際し、(一)のとおり、これまでの症状の経過及び治療の状況を説明し、「埼玉医大付属病院では、原告の頸部がいわゆるスワンネックになっているので、手術の効果が薄く、手足が動かなくなったら手術しましょうと言われた。」旨申し述べた。原告は、この時は主に二指から五指にかけて手指のしびれを訴え、小指側が特にしびれが強く、そのため手に力が入らず物を落とすこと、また、昭和五五年ころからは右下肢にもしびれがあること、両下肢の痛みないししびれがあることを若干訴えた。

(三)  小林医師が原告から右の説明を受けた後、原告の診察をしたところ、原告の症状が次のとおりであり、頸部脊椎症と診断した。(1)手指の筋肉の萎縮の状態を視診したところ、右手の主に母指球に萎縮がみられ、運動障害があった。(2)手指の知覚を診るため、触覚の検査をしたところ、両手の第七、第八頸神経領域に知覚鈍麻がみられた。筋力を診るため、握力を調べたところ、通常人(原告の当時の年齢の標準的な握力は、利き手で約二五キログラム、利き手でない手で約一五ないし二〇キログラム)と比べて低下しており、右手で八キログラムとなっていた。(3)上腕二頭筋腱反射、上腕三頭筋腱反射を診たところ、いずれも正常であり、上肢のホフマン反射を診ると、親指の第一関節が屈曲して、陽性を示した。(4)下肢については、膝蓋腱反射を診たところ、膝の関節が急激に大きく伸び異常を示したため、錐体路すなわち脊椎及びその中枢に障害があることがわかった。下肢についてアキレス腱反射を診ると、膝蓋腱反射と同様、異常を示した。下肢について足間代を診ると、足の関節が上下に揺れて陽性を示し、錐体路の障害がわかった。歩行については、他覚的所見として異常を認めた。(5)原告の単純レントゲン写真をとってみた結果、上位頸椎は、第二、第三頸椎を中心として、後方に彎曲し、下位頸椎は、第五、第六頸椎、第六、第七頸椎レベルを中心として前方に彎曲して、S字状となったいわゆる「スワンネック」という形状を呈した彎曲異常があった。全体的に、脊柱管の前後径が狭く、殊に第五、第六頸椎レベル、第六、第七頸椎レベルでの脊柱管が約一〇ミリメートル(通常人の場合は一六ないし一七ミリメートル)に狭窄しており、脊椎が常時圧迫される危険にさらされていた。第五、第六頸椎、第六、第七頸椎の前方、椎体の前下縁に大きな骨棘があり、かつ、同後方にも骨棘があり、更に第五頸椎、第六頸椎の椎体がその上の頸椎に比べて後方への滑りがみられ、脊柱管を狭くして脊髄に対する圧迫を生じる可能性があった。そして、鉤状突起ないしルシュカ関節に非常に大きい骨棘があり、また、後方の椎間関節にある骨棘による狭窄のため、椎間孔が狭くなった。これらレントゲンの所見より、頸椎全体に変化があるが、特に第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間に高度の変化があることがわかった。

(四)  小林医師は、佐々病院でのそれまでの臨床所見及びレントゲン写真の結果について、原告に対し、頸部に高度の変化があること、スワンネックになっていること、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間を中心に高度な変化があること、特に、第六、第七頸椎間に大きな変化があること、脊柱管が全体に狭いこと、臨床症状もそのレベルに比較的よく一致していることを説明したうえで、一般論として、「このままだと歩けなくなったり、尿の出るのがわからなくなることもある。病変の箇所が、臨床症状にあった高位にあるのならば、今のうちに手術をすれば良くなるし、悪くても現状で止どめることはできる。」と述べた。原告はこれに対し、「長島医師は、私の頸椎の形がスワンネックになっているから、手術は危険だとおっしゃいましたが。」と言うと、小林医師は、「確かに、埼玉医大の長島医師がおっしゃるように、スワンネックになっているときに後方から手術をした場合、後方からの除圧をするということは効果が薄いかもしれない。即ち、頸椎の前方からの脊髄の圧迫で、かつ、そこで後彎を呈している部分に対して、後方から除圧するのは効果が薄い。しかし、前彎を形成している第五、第六頸椎あるいは第六、第七頸椎に前方からの圧迫がある場合には、後方からの除圧は有効な手段である。前彎を呈しているところでの前方からの圧迫に対しては、後方からの除圧も有効である。だから、手術療法もあり得る。」と説明した。この時、小林医師としては、原告を入院させて検査した結果、臨床症状にあった高位に病変があるのならば、手術した方がよい、と考えていたが、単純写真を見た限りでは、前方からの除圧だけで症状を治せるのではないか、あるいは症状の進行は止め得るのではないかとも考え、結局この段階では、手術をするか否かは決めかねていた。ところが、原告は、小林医師がまだ手術を決定していないにもかかわらず、「手足が動かなくなっては困るので、よろしくお願いします。」と言って、原告の気持ちとしては手術を受けるつもりでいることを表明したので、小林医師は、原告に対し、「佐々病院では頸椎の単純写真の情報しかないから、入院して精密な検査をして、そのうえで最終的な結論を出しましょう。」と答え、手術の決定を保留した。その後、小林医師が原告に電話連絡をして、被告病院に入院すべき日を指定したので、原告は、入院直前に、娘二人と一緒に小林医師の自宅へ挨拶に伺ったうえ、昭和五六年六月一〇日被告病院に入院した。

(五)  丸山医師は、小林医師の指示で原告の主治医となり、小林医師から、原告は主に頸椎が悪く、検査する目的で被告病院に入院するものである旨の説明を受けたうえで、原告の入院当時、原告を診察したが、原告の主訴は、両側四肢のしびれと両下肢の痛みであった。丸山医師は原告の問診により、原告には、同医師は、昭和五〇年ころから右手小指にしびれが出現し、その後しびれが広がり、昭和五五年ころからは左手にもしびれが現れ、また、左足底に違和感を覚えるようにもなり、右下肢にもしびれが現れた、という内容の現症歴を知った。更に、丸山医師は原告を診察し、その症状につき次のとおり診断した。(1)原告の反射を調べた結果、原告の右上肢は、上腕二等筋、三等筋等が正常だったが、ホフマン反射では病的反射を示し、下肢は反射亢進が認められた。(2)原告の握力は右八キログラム、左九キログラムであった。(3)虫ピン針で皮膚を刺して痛覚を調べる検査では、両手小指側に痛覚脱失の所見があり、刷毛で触れる検査では、触覚鈍麻の所見があった。(4)手指の筋萎縮が高度であり、また、間歇性跛行の状態ではないものの、歩き方にスムースでないところがあった。(5)原告の頸椎には叩打痛がなかった。(6)レントゲン写真を撮ったところ、佐々病院でのレントゲン写真の所見と同様であった。(7)筋電図検査では、第七、第八頸神経根レベルより中枢での脊髄及び神経根に障害のあることがわかり、神経症状を起こしているのが、頸髄でも、第五、第六、下位頸髄か、あるいはそれから出ている神経根のレベルにあることがわかった。丸山医師は、同日原告の手術が決まった時に備え、または、手術をしない場合であっても、保存的療法の一環とするために、ギブスベッドと顎付ポリネックを作製させた。一方、丸山医師は、原告と原告の娘婿の岩田守弘には、「手術、麻酔、処置、検査等を受けるにあたり、担当医からその内容について十分な説明を受け、診療上必要やむを得ないものであることを理解いたしましたので、その実施を承諾します。」旨の承諾書に署名捺印をさせた。

(六)  丸山医師は、翌一一日、断層撮影とCTスキャンの検査を行った。まず頸椎側面の断層撮影の結果、先の単純写真の側面像で認められた所見、即ち第五、第六頸椎後下縁の骨棘と後方への滑りが認められ、殊に、第六頸椎においてそれが顕著に認められ、また、第六頸椎後下縁での脊椎管前後径の狭窄度が単純写真で見るよりも明らかに高度になっていることが認められた。CTスキャンの検査をした結果は、右断層撮影の結果とほぼ同じであった。

(七)  丸山医師は、原告の頸椎の変化が高度であり、腰からの造影検査だけでは十分な情報を得られない虞れがあることから、同月一五日、小林医師の立会のもと、原告を伏臥位にして、第一頸椎と第二頸椎との間に横から針を刺す側方穿刺による造影検査を試みた。しかし、数回針を突いたものの、うまく脊髄の腔内に達せず、結果が得られなかったため、この検査はいったん中止された。この間原告は苦痛を訴え続けた。そこで改めて、同月一九日、原告をうつぶせにして、腰から造影剤を注入する方法で造影検査を行った。その結果、第五、第六頸椎間と第六、第七頸椎間で脳髄液の通過障害を示し、脊髄に対する圧迫が存在すること、第六、第七頸椎間での神経根がよく写っていないこと、第六、第七頸椎間の前方からの脊髄の圧迫が高度であり、しかも、第五、第六頸椎間でも圧迫があり、後方からの圧迫もあることが認められた。

(八)  以上の臨床経過、臨床所見、レントゲン写真、造影検査、CTスキャンの各検査結果を総合して、小林医師と丸山医師は、主病変が第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間レベルにある、頸部脊椎症性の脊髄症による症状と診断し、その症状は中等度の障害であるが、脊柱管の狭窄、脊髄に対する圧迫が極めて高度なもので、現在もなおその症状が徐々に進行し、日常生活の動作にも障害を来しつつあることから、手術療法によるのが適当と判断した。そして、両医師は、自分達が教育を受けた慶応大学での手術例に従い、まず、第一段階として、椎弓切除術と椎間孔の後方からの解放という後方到達法により、後ろからの圧迫を取り除き、次に、第二段階として、前からの圧迫を更に取り除く、二段階の除圧を行う術式によることに決定し、右術式の選択については、両医師らにおいて何らの異論も出されなかった。

(九)  小林医師は、同月二二日、原告に対し、それまでの検査結果を踏まえて、原告が障害している部分は、第五、第六頸椎間と第六、第七頸椎間が主であること、症状は現在も若干ではあるが、徐々に進行していること、脊柱管が狭窄していること、脊髄が高度に圧迫されているため、今後も更に進行する可能性があることを説明し、そして、治療方法については、「スワンネックになっているが、これまでの検査からして、脊髄が主に前方から圧迫されており、前彎を形成している第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間に病変があることから、その部位の手術をするのが良い。非常に狭窄が強いため、一気に前方から脊髄を圧迫している骨棘等を取るのは脊髄に対して危険を伴う。そこで、まず、前彎を形成している部位の第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間に後方から入って椎弓を切除し椎間孔を開放して除圧し、脊髄をいったん後ろに逃したうえで、その後、前方から骨棘を取って除去する二段階の手術が妥当であろう。あるいは、神経根に対する圧迫が強いため、椎間孔を前後から除圧するという二つの目的で、二回に分けた手術が妥当であろう。もっとも、脊椎の中には脊髄が走っているから、脊髄を傷める危険性はゼロではない。」と言った。丸山医師も、原告のベッドの脇に行って、原告に対し、それまでの外来のレントゲン、CT、断層写真、脊髄腔造陰の検査結果を踏まえて、レントゲン写真を原告に示しながら、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間で脊柱管がかなり高度に狭窄していること、手術については、脊髄の周辺を操作する手術だから危険が伴うことを説明した。そして、丸山医師は、同年七月二日、原告と前記岩田に、前記と同内容の手術の承諾書に署名捺印をさせた。

(一〇)  小林医師と丸山医師の両医師は、昭和五六年七月二日、原告に対し、第一回目の手術を行った。まず、丸山医師が、皮膚を切開し、その下の軟部組織を剥がし、更に、筋層(頸椎の椎弓に付着した筋肉)を剥がして脊柱の後方にある椎弓を展開する操作をし、第六、第七頸椎を中心に筋肉から椎弓を剥離した。これ以降は、小林医師が単独で執刀し、まず、レントゲン写真を撮って、第六頸椎を確認し、次に、第六、第七頸椎の椎弓の側面、側方にエアートームを使って、溝を掘り、椎弓を全体的に薄くし、そのうえで、第七頸椎から椎弓をパンチで削り取り、同椎弓を切除した。その結果、脊髄を入れている硬膜管が膨張してきて、脊髄が後ろに逃げて行き、除圧の効果により、脊髄が圧迫されていたために、拍動がなかった部分から、拍動が出てきた。更に、小林医師は、第六頸椎の椎弓を切除し、硬膜管の拍動は一層良くなったのを確認し、第七頸椎の神経根が出ている椎間孔を後方から広くし、出血のないのを確認して洗浄し、ドレーンを留置する処置をした。ここから、再び丸山医師が担当し、同医師は、筋肉と皮膚の縫合をして皮膚を閉じ、手術を終了した。なお、右手術中、原告は急激にけいれんを起こすことはなかったし、手術後、麻酔から覚醒した時点で、高度でほぼ完全な一過性の麻痺が起きることもなかった。第一回目の手術後、原告の右上肢及び両下肢の病的反射は消失した。もっとも、原告は、右手術後も頭痛と頸部創部、両肩部、背部にかけての疼痛を訴え、「肘や手指に力が入らない。」とか、「胸が苦しい。」とか、「今日は胸が苦しいと思っていたが、本当は胃が悪いんです。」などと繰り返し訴えていた。

(一一)  小林医師は、同月二八日、原告に対し、第二回目の手術を行った。この時は、第一回目とは逆に、前方から脊椎に達し、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間に達し、その椎間板を切除し、第六、第七頸椎の椎間孔を開放した。続いて第五、第六頸椎の椎間孔を開放した。また、第六頸椎の椎体を部分的に切除し、第五頸椎の椎体の後下縁と第六頸椎の後下縁の骨棘を切除し、そして、後方に出ている椎間板を摘出して、脊髄の除圧をした。そのうえで、第六頸椎の部分的な切除をした箇所に、骨盤から取った骨を移植し、第五頸椎から第七頸椎にかけて固定を行った。第二回目の場合も、第一回目と同様、手術中に原告が急激にけいれんを起こすことはなかったし、手術終了後、原告が麻酔から覚醒した時点で、高度でほぼ完全な一過性の麻痺が起こることもなかった。もっとも、右手術後から、原告は咽頭痛、腸骨部痛、あるいは「肘が曲がらない。」とか、「肩が上がらない。」等多彩な訴えをした。しかし、咽頭痛と腸骨部痛は自制が可能の様子だった。また、原告の握力は、右一一キログラム、左一六キログラムと増強しており、肘の筋力もあり、上肢の反射についてバビンスキー、ホフマン、足間代の検査をしたところ、プラスを示した。また、原告は、歩行器を使っての歩行訓練から初めて、徐々に歩行がうまくなり、時には歩行器を使わないでの散歩もできるようになった。そして、原告の手指の運動障害も、リハビリテーションの結果、徒手筋力テストで、退院間際には筋力が相当に回復したことがわかった。結局、原告の自覚的な訴えを裏付ける他覚的な所見は得られず、そのため、小林医師は、原告の訴えには、心因的なものが関与しているのではないかと判断した。更に、原告は、第一回目の手術を小林医師が執刀せず、丸山医師が執刀したのではないかと疑って、不満を言うようにもなった。そこで、小林医師は、原告に対し、手術後、手足の運動機能は回復し、原告の訴えるような運動障害はないこと、第一回目の手術の際、重要な部分は小林医師が執刀したことを説明した。しかし、原告は右説明に納得せず、リハビリテーションにも差し支えが生じてきたので、小林医師が村山病院の大谷医師に相談したところ、原告を村山病院に転院させてリハビリテーションを受けさせることとした。そして、原告は、昭和五六年一一月二一日被告病院を退院し、同月二五日から昭和五八年二月七日まで村山病院において、継続的にリハビリテーションを受けた。

(一二)  原告は、昭和五八年五月一〇日になって、川崎病院の藤村祥一医師の診察を受けて、頸部脊椎症性脊椎症と診断され、四肢の不完全麻痺のため、介助がのぞましいと言われた。そして、昭和五九年六月五日、原告は、佐々病院の寺村医師に、頸部脊椎症による両上下肢不完全麻痺と診断され、同医師は、原告の現症として、「歩行障害、両上肢の機能障害あり、両上肢、両下腿に知覚鈍麻あり、上肢腱反射亢進なきも下肢の腱反射亢進し、右足畜搦(+)、両全指の伸展、屈曲障害され、握力弱く、片脚起立不能」があるとの診断をした。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》 なお、乙第二号証の原告のカルテの昭和五六年六月二〇日の欄に「来々週退院へ」と記載されており、右時点において原告について手術の必要も予定もなかったかのように思われる記載となっているが、前掲証人丸山の証言によれば、右記載部分は丸山医師が他人のカルテと間違えて記入してしまったものであることが認められるので、乙第二号証の右部分は、前記認定を覆すものではない。

三1  説明義務違反について

原告は、小林医師が、原告に対し、手術療法を選択する理由と必要性を、危険性と改善率を踏まえて説明すべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、同医師は、手術療法の危険性及び改善率について何ら説明することなく、かえって、「手術をすれば良くなるし、仮にどんなに悪く行っても、現状で止められます。」と現在の医療水準とは異なる事実を申し述べ、そのうえ、「長島先生は後ろからされるので危険だが、ぼくたちは前からしますから大丈夫です。」と、あたかも手術療法の危険性が術式の選択に帰着するかのごとき説明をしたとして、被告の義務違反を主張する。そこで、これを検討する。

《証拠省略》中に、小林医師が手術の方式について右主張に副うような部分があるが、たやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

前記認定事実によれば、小林医師と丸山医師は、本件手術を実施する以前、原告に対し、前記二(四)及び(九)に判示したとおり説明したことが認められるが、手術療法を選択する理由ないし必要性につき、具体的な改善率を踏まえた説明までしたことは認められない。

右事実に徴すると、小林医師及び丸山医師は、原告に対し、手術療法を選択することについて、原告の現症の詳細な説明と症状の今後の進行可能性、一般的な改善可能性、それらを踏まえての手術療法の有効性、手術療法によった場合の脊髄に対する危険性について、ある時はレントゲン写真を示すなどして具体的に説明したものであり、被告は、原告がその人体に医的侵襲を受けることにつき自己決定する前提として、原告に対し、十分な情報を与えるだけの説明義務を尽くしたものというべきであり、手術療法を選択する理由ないし説明につき、具体的な改善率まで言及していなくても、説明不十分とまでいえない。

よって、請求原因4(一)の主張は容認できない。

2  手術適応性判断の過誤について

原告は、手術適応を決定するに際しては、(1)日常動作の障害度(2)脳髄液の通過障害の有無(3)脊椎管前後径の狭窄の程度(4)年齢及び社会的活動性の有無を主たる判断要素として、慎重に判断するものであるところ、原告は、本件手術の前は、(1)日常動作の障害はないに等しく、(2)脳髄液の通過障害もなく、(3)脊椎管前後径の狭窄は多少見られたとしても、(4)六四歳の高齢者であり、手術侵襲のリスクを冒してまで本件手術を実施すべき社会生活上の必要はなかったのであるから、手術適応はなかったにもかかわらず、小林、丸山両医師は、右適応性があると判断したとして、被告の手術適応の判断につき過誤があると主張する。そこで、これを検討する。

(一)  《証拠省略》によれば、前記二(一)ないし(三)に認定したような本件手術前の原告の日常動作等における障害状態を日本整形外科学会頸部脊椎症性脊髄症治療成績判定基準(以下「日整会の判定基準」という。)に当てはめて判定してみると、上肢運動機能は、「3・箸を用いて日常食事をしているが、ぎこちない。」、下肢運動機能は、「3・平地、階段ともに杖または支持を必要としないが、ぎこちない。」、知覚は、「0・明白な知覚障害がある。」に該当し、原告の日常生活の障害度は中等度であったことが認められる。証人丸山の証言によると、日整会の判定基準は、もともと手術後手術の結果が良いか悪いかを判定するために、それを数値的に判定するための基準即ち「手術成績の判定基準」として定められたものであり、本件当時はまだ右判定基準をもって、手術適応の判断基準とする用い方は一般的ではなかったことが認められる。

(二)  前記二(三)、(六)、(七)に認定したように、本件手術前の原告には、全体的に脊柱管の前後径が狭く、特に第五、第六頸椎レベル、第六、第七頸椎レベルでの脊柱管は通常人の六割位に相当する約一〇ミリメートルに狭窄されて、脊椎が常時圧迫される危険にさらされており、第六頸椎後下縁の骨棘と後方への滑りで脊椎管前後径の狭窄度が明らかに高度になって、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間には脳髄液の通過障害があり、特に、第六、第七頸椎間の前方からの脊髄の圧迫が顕著であった。

(三)  原告は、本件手術当時六四歳であって、高齢者であったが、《証拠省略》によれば、そもそも年齢が手術適応を判断するに際し問題とされる所以は、主として高齢者の場合、手術によって心臓病、糖尿病、高血圧、腎臓病等といった高齢者特有の合併症の危険を考慮するからであるところ、原告には本件手術以前の検査において合併症につき異常所見はなかったこと、原告の当時の平均的余命からすれば、原告にはなお社会的、生活的活動を自立的に行う必要が長いものと考えられたことが認められる。

(四)  前掲甲第一号証(「特集・変形性頸椎症 エキスパートオピニオン頸椎症、私の治療方針 萬年徹」)によると、(1)骨棘により頸椎管の前後径が一二ミリメートル以下になっているとき、(2)髄液のダイナミックスタディー及びミエログラフィーでブロックが認められるとき、(3)骨棘の形成は軽度だが、単純X線及び頸椎CTで頸椎管狭窄が合併しているとき、(4)経過中、排尿障害が出現するとき、(5)患者の年齢が五〇歳か五五歳、少なくとも六〇歳を超していないときの五つを手術適応の判断要素として掲げ、これらのうち二つ以上が組み合わさった時、手術的治療を考慮しなければならないとしている医学的見解があることが認められる。

そこで、右基準により本件原告の手術適応を検討すると、前記認定の事実によれば、脊髄腔造影検査で脳脊髄液の通過障害があったこと、頸椎後下縁の骨棘と滑りで脊柱管の前後径が一〇ミリメートルであることが認められるので、少なくとも右の(2)及び(3)の二つの条件は満たされており、右基準によっても原告には手術適応はなかったとはいえないというべきである。

また、右甲第一号証には、右の患者の年齢が手術適応の絶対的条件ではないことも述べていることが認められるうえ、前記(三)のような高年齢であることを手術適応の判断要素とする趣旨からすれば、原告が当時六四歳であったことをもって、直ちに手術適応なしというべきではない。

以上日常生活動作の障害度、脊柱管前後径の狭窄の程度、脳髄液の通過障害、年齢及び社会的活動性の四つの観点から検討して、原告には当時手術適応がなかったということはできない。

よって、請求原因4(二)の主張も容認できない。

3  術式選択上の過誤について

原告は、椎弓切除術を行って脊柱管の除圧をする後方到達法は、四椎間以上の広範囲に頸椎に病変のある患者並びに前方到達法による効果が芳しくない場合の追加術としてなされるべき術法であって、その治療効果は前方到達法に劣り、術後増悪も多く、しかも、小林医師は、原告に対し、前方到達法によって手術を行うことを術前に述べていたのであるから、前方到達法によるべき義務があったにもかかわらず、これを怠り後方到達法によって本件手術を実施したとして、被告に術式選択の過誤があると主張する。そこで、これを検討する。

《証拠省略》によれば、脊椎管狭小を伴う頸椎症性脊髄症には、まず脊椎管狭小部に対し椎弓切除術による後方除圧をはかり、更に、脊椎管の前方病変部に対し前方除圧兼椎体固定術を加える計画的な二段階手術法を行い、満足すべき結果を得ている旨報告されていることが認められる。前記二(三)、(七)に認定した事実及び《証拠省略》によれば、原告の頸部は、いわゆるスワンネック形状になって、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間に前方から高度な圧迫があり、更に後方からも圧迫があり、椎間孔が前後から狭窄され、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間が前彎を呈していたため、小林医師らは、この場合には、一気に前方から脊髄を圧迫している骨棘等を取るのは脊髄に対して危険を伴うため、まず後方から入って椎弓を切除し椎間孔を開放して除圧し、脊髄をいったん後ろに逃がしておいて、そのうえで前方から骨棘を取って除去するのが安全であり、スワンネックの場合に上位頸椎が後彎を呈しているときは、後方到達法による除圧が不適切であるが、原告の第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間の部分は前彎を呈しているから後方からの除圧も有効であると判断したこと、そして、原告のような症状の場合、慶応大学の手術例では後方到達法、二段階除圧法をする方法を採っており、小林医師と丸山医師らとの間では右方法を採用することに何らの異論も唱えられなかったことが認められる。原告は、小林医師が原告に対し前方到達法により手術を行うことを術前に述べていた旨主張し、《証拠省略》に右主張に副う部分があるが、たやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

以上によれば、小林医師が、前方到達法のみによらず、後方到達法及び二段階除圧法によって本件手術を実施したことは、原告の症状に照らし適切な術式によったものというべきであり、これをもって被告に術式選択上の過誤があるものと認めることはできない。他に右術式の選択が医学的に過誤とまで認めるに足る証拠はない。

よって、請求原因4(三)の主張も容認できない。

4  施術上の注意義務違反

原告は、小林医師が原告に対し、本件手術に際し同医師が自ら執刀する旨を約したのだから、治療行為に伴って原告の身体に傷害を及ぼすことのないよう施術上の注意義務があったにもかかわらず、これを怠り経験の浅い未熟な丸山医師に本件手術の執刀を行わせた結果、誤って脊髄神経の損傷を招いたと主張する。そこで、これを検討する。

前記二(一〇)に認定したように、丸山医師は、本件第一手術において、小林医師と共に手術を行ったが(第二回目の手術では丸山医師は加わっていない。)、この時丸山医師が担当したのは、皮膚の切開及び頸椎の椎弓に付着した筋肉を剥がして脊柱の後方にある椎柱を展開する操作と、手術終了直前に筋肉と皮膚の縫合だけであり、その余は、椎弓の切除と椎間孔の開放といった本件手術の重要部分も含め、すべて小林医師が執刀した。《証拠省略》によれば、椎弓の前に脊髄があるが、脊髄を後ろから保護するのが椎弓であり、丸山医師は、その椎弓の後ろまでを展開する手術をしたものであるから、同医師の行為によって原告の脊髄神経に損傷を及ぼすことはあり得ないことが認められる。また、本件全証拠によっても、本件手術を担当した医師が手術中誤って脊髄神経を損傷したことを認めることはできない。

よって、請求原因4(四)の主張も容認できない。

5  結局、被告には過失というべき何らの注意義務違反を認めることもできない。

四  以上により、その余の事実を判断するまでもなく、本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 櫻庭信之 裁判官生田瑞穂は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 鬼頭季郎)

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